精神科医と時の小部屋 益田大輔 元気ですか!?精神的に
感染症はことばの病
益田大輔と未来をつくる会
2022年02月09日 19:21
エジプトのミイラから天然痘が確認されるなど、人類と感染症には長~い歴史があります。新型コロナウイルスパンデミック以降、心が揺れる毎日が続いていますが、過去の感染症を題材にした古典に感染症と対峙するヒントがあると言われています。カミュの
「ペスト」
に綴られている、『感染症はことばの病』の意味を精神科医の立場から読み解きます。コロナ禍のメンタルをこの機に整えましょう。感染症はことばの病、こころの病の真意とは?!
「元気ですか?精神的に!」益田大輔ブログ
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元気ですか?!精神的に。
精神科医の益田大輔です。
現在第6波オミクロンが猛威を振るい、テレビやマスメディアは連日、コロナの話で溢れていますが、今回は精神科医の立場から
「感染症」「コロナ」
を考え、コロナ禍におけるより良いメンタルヘルスをご提案致します
さて、エジプトのミイラから天然痘が確認されるなど、人類と感染症にはそれはそれは長〜い歴史があります。
そもそも細菌やウイルスはこの惑星における我々の先輩であり、ある意味、人類の誕生とともに、細菌やウイルスとの対立、共存の歴史があるのです。
そんな中、中世ヨーロッパにおいてペストが大流行します。黒死病と呼ばれるペストにより、なんと人口の3分の1を失ったと言われています。
また、第一次世界大戦中の1918年にはスペイン風邪(インフルエンザ)が大流行し、なんと5億人以上が感染、死亡者数は2千万~4千万人ともいわれています。
第1次世界大戦の死者数が1千万人前後である事を考えると、人類にとっては戦争よりもスペイン風邪という感染症の方がダメージが大きかったわけです。
そうした中、ワクチンの開発や抗生物質の発見が進み、1980年にはWHOが天然痘の根絶を宣言するなど、人類はついに感染症を克服した!と息巻いた時期もありましたが、その後もエボラ出血熱やエイズ、SARS、MARS、そして今回の新型コロナウイルスなど、新しい感染症が発生しているのです。
さて、新型コロナウイルス感染症により行動様式の変容が進み、新しい生活様式(=ニューノーマル)の中で、学校や仕事においてオンライン・リモートが進みました。また三密の回避やマスク・手洗いの徹底、不要不急の外出はやめようとか、自粛・自粛警察・ステイホーム・ソーシャルディスタンスという新しい言葉も定着しています。
余談ですが、かつて精神医療の現場では、なるべくマスクをしないようにする文化があり、(マスクをすると喋るのを拒絶している様な印象を与えるため)改めて振り返ると価値観の変化を痛感する今日この頃です。
さて、コロナ禍でDVや虐待、女性の自殺が増えたという報道があり、衝撃が走りましたが、みんなが同じようにこころを病んでしまうかというとケースバイケースです。
例えばひきこもりの方は、コロナ以前より長らくステイホームなので、
「ようやく我々の生活様式に社会が追いついたね」
といった感覚があるようです。
同じように、全体の集まりがないとか、飲み会が開かれない、断りやすいことをプラスに感じている方も多い印象です。
不登校への影響も指摘されており、中学・高校・大学に進学するも思う様な学校生活が叶わず、リズムや体調を崩し、学校に馴染めない、行けない、学習が進まないという相談も実際に多いです。
また、コロナによる生活の困窮、経済的なダメージはある意味、抑うつ気分やうつ病と親和性が高く、アルコール依存や自殺の問題に繋がっていきます。
認知症への影響も大きく、ご高齢の方がこれまでのように集まって運動、活動出来ないので、コーラスや俳句などの趣味の集まりに行けず、社会活動から疎遠になり、認知機能の低下やをADLの低下に繋がるリスクも増えています。
また、ステイホーム自体が精神的にあまりよくないと言われています。人間の自由は突き詰めると
「移動の自由」
であり、移動可能であることが人間が一番自由を感じると唱える哲学者もいます。移動が阻まれると、逃げる・逃避という最終奥義が出しづらいこともあり、かなりのストレスを生んでしまうのです。パンデミックの時は致し方ありませんが、少し感染が緩んでいる時は、自粛を解いてむしろ積極的に外に出るべし!と主張する精神科の先生もいらっしゃいます。
ここで、過去の文学の名作から人類と感染症の歴史を振り返ってみましょう。
先に紹介したペストを題材にした有名な作品が3点ほどあります
①カミュの「ペスト」
コロナが流行ってから世界的に再読された本です。(アフィリエイトではありません)
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②ボッカチオの「デカメロン」
これもペストを題材にしていることで有名です。
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③ダニエル・デフォーの「ロンドン・ペストの恐怖」
こちらもしっかりとした記録として参考になる本と言われています。
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④JA・W・クロスビーの「史上最悪のインフルエンザ」
スペイン風邪を題材にした本です。
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≪感染症は文明の病=ことばに関する病≫
ここでカミュのペストより一節を紹介したいと思います。
「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ。 何故かといえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れている者はいないからだ。」
このペストの部分をコロナに置き換えて読んでみると、
「誰でもめいめい自分のうちに
コロナ
を持っているんだ。 何故かといえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒(影響)を免れている者はいないからだ。」
ある意味、現状を的確に表現していると評され、これがコロナ禍にペストが読まれている理由かもしれません。
つまり、感染症というのは単にウイルスにかかる/かからないという問題だけではなく、恐怖や不安、怒りや疑心暗鬼など、こころの問題でもあるのです。
コロナに関しても、実際に感染するか否かだけでなく、間接的な畏れなどのストレスの問題が大きく、「我々は実は皆ペスト(コロナ)に罹っている」状態とも言えるわけです。
この点を踏まえ、カミュは感染症は文明の病、ことばに関する病と指摘します。
≪カミュの感染症論≫
そもそも、
「ことば」
は感染力を持っています。みんながことばを使う以上、ことばからの感染を免れている者は誰もいません。感染症の本質はことばの暴力性に類似しており、例えばSNSの炎上などの誹謗中傷や集団パニックはある意味、ことばの感染とも言えるわけです。
さて、感染症はどこからやってくるのでしょうか?
これは文明と文明の間からやってくると言われています。文明が発生するまでは感染症はありませんでした。
では、何が存在していたのかというと、それは風土病です。その土地、その土地には特有の病があり、そこに住む人は苦しんでいましたが、あくまでその土地固有のものであり、広く感染してはなかったのです。その後、複数の文化が発生し、交通が生まれた時に
「風土病」
が
「感染症」
に発展していったと考えられています。
≪感染症はことばの病、こころの病≫
感染症は交通がないと生きていけません。とはいえ人間は社会的存在です。個人と個人、社会と社会、文明と文明の間のコミュニケーションが重要で、コミュニケーションツールとして言葉があり、時に貨幣があり、一緒にウイルスも流通するわけです。
そういう意味では、ことばはウイルスと同じ本質を持っています。つまり、人間社会自体、そもそも感染症的なものなのです。
かのインカ帝国が滅びた理由のひとつに、スペイン人と共にウイルスがやって来たからとも言われています。
≪さて、それでは人は何に畏れているのか?≫
新型コロナウイルスパンデミックにおいて、人は果たして何を畏れているのでしょうか?ウイルスなのでしょうか?ともすれば、カミュの指摘通り、ことばに怖れ慄いているのかもしれません。感染したら申し訳ない、会社に地域に合わせる顔がない、最初のひとりにだけは死んでもなりたくない。(ウイルスでは死ななくても)そのような思いを抱いた経験があるかもしれません。
スティグマ(社会的な差別や偏見)と言いますが、スティグマが非常に大きく関わっています。
実はこのスティグマの歴史は、精神医療の歴史に似ています。ひと昔前は、精神科に受診したり、精神病院に入院すると一貫の終わりというスティグマが強く、最近になって精神医療の敷居は随分下がってきたとはいえ、
「俺は今精神科に行っているぜ」
となかなか公言しづらいのです。そういった思いと今のコロナウイルスを取り巻く心性は非常に似ていると感じでいます。
不安、怒り、焦り、疑心暗鬼が膨らみこころがまいってしまう。その時、そもそものウイルス自体はある意味置き去りにされ、感染しているのはむしろ、マイナスのことば、こころであるとも言えるのです。
≪まとめ≫
感染症にはことばの病、こころの病の側面があります。人類の歴史上、こういった側面があることを知っておくことは非常に重要なことです。
「ウイルスを正しく恐れましょう」
と言いますが、ウイルスに限らず、ことば・情報についても正しく恐れることが重要です。
「ストップ!コロナハラスメント」
と言いますが、これはスティグマに対する心理的安全性の問題であり、罹ったら一貫の終わりという心性が和らぐことが重要です。
例え不運に罹ったとしても、しっかり回復して、復帰し、又活躍してねという寛容な態度が重要です。
「コロナとの戦いに負けるな」
とよく言いますが、敵はウイルスではなく、あくまで我々のことば、こころなのかもしれません。
如何に優しいことばを使い、思いやりを持つか?こころのあり方を整えるかという問いなのです。
恐怖・怒りではなく、今より少し優しく、少しマイルドに少し楽観的に考えることがヒントになるかもしれません。
また、コロナによって起こる色々な社会的変化の中から、
「良い変化」
を見い出し、それを享受することも一興です。
コロナウイルスに関しては2類相当を5類にするべきか?という議論もありますが、2類のメリットは医療費の保障等で、デメリットは心理的安全性が揺らぎスティグマの問題が発生しやすいことです。
オミクロンに関しては、心理的な部分だけでも5類の感覚で考える文化が広がれば、もう少し生きやすくなるのではと思っています。
自分たちで分類して自分たちで苦悩する必要はあまりないのでは、と考えます。
以上ご拝読ありがとうございました。
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